【超私的レビュー】私が考える、プロ野球優良助っ人外国人BEST3を発表します!
編集部/奥家
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昨日行われた夏の全国高校野球大会の決勝戦。
群馬県代表、前橋育英高校が初出場Vの栄冠に輝きました!
本当におめでとうございます!
さて、野球といえばプロ野球に目を向けると、後半戦も進み、優勝・プレーオフ争いがますます白熱してきています。
そんなプロ野球を盛り上げているのが、助っ人外国人の存在。
今年は、ヤクルトのバレンティン選手がプロ野球シーズン記録のホームラン55本を塗り替えるかどうか……というところにも注目が集まっていますよね。
というわけで、編集部一の野球ファンを自認する私が、「プロ野球界で輝いた優良助っ人外国人BEST3」を独断と偏見で発表させていただきたいと思います!
しばしお付き合いいただけると幸いです。
第3位
ケン・モッカ
(中日/1982年~1985年)
三塁手。宇野、田尾、谷沢、平野、上川、大島らとともに、中日強力打線の一角を担った外国人。
80年代前半、中日の3番三塁は、モッカの指定席でもありました。
チームを鼓舞するリーダーシップも持ち合わせ、ファンからも愛された助っ人でした!
なお、本来は「マッカ」が正しい読み方ですが、「真っ赤」と呼ばれるのを嫌がった球団が「モッカ」で登録したという逸話も。
第2位(同率)
テリー・ウィットフィールド
(西武/1981年~1983年)
スティーブ・オンティベロス
(西武/1980年~1985年)
両者が活躍したのは清原選手入団前の80年代前半。
“常勝”西武ライオンズの礎は、この2人が築いたといっても過言ではないでしょう。
テリーはホームランバッター、スティーブは安打製造機とそれぞれ個性を発揮し、チーム内でもムードメーカーとして活躍しました。
日本シリーズ2連覇を果たした1983年には、スティーブが最多勝利打点(当時)のタイトルを獲得。テリーは同年に自己最多の38本のホームランを放ったものの、南海ホークスの門田博光選手の40本に及ばず、残念ながらタイトルには手が届きませんでした。
ちなみに、タカラ(当時)から発売されていた、サイコロの目で勝負を決する「プロ野球カードゲーム」の1984年版では、この2人がとてつもなく強いプレイヤーになっていたという記憶が今蘇ってきました……。
そして第1位は……
ボブ・ホーナー
(ヤクルト/1987年)
インターネットや衛星放送がまだ普及していなかった当時、メジャーリーグは遠い海の向こうのスポーツでした。
また当時の助っ人外国人は、言い方は悪いのですが、「メジャーで契約できなくなったプレイヤーが活路を求めて日本に来る」というイメージを持っていたことも否めませんでした。
そんな中、メジャーリーグで新人王を獲得し、その後もホームランを量産していた超一線級がなぜか日本に緊急上陸!
デビュー4戦でいきなり6本の本塁打を放つなど、「本物ってすげー!なにこれ!?」と日本中を轟かせたことを今でも覚えています。
シーズン途中入団、かつ後半は故障して未出場であったにもかかわらず、1987年にホーナーが残した成績は、93試合で打率.327、31本塁打、73打点。
正直、ものすごいです。。。
同年発売されたファミコンソフト「桃太郎伝説」に、急遽“あかおにホーナー”という敵キャラが登場するほどのインパクトを、日本に残して去っていくだけのことはありましたね。。。
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