日本中を熱狂させたあのアスリートの、忘れられない思い出の品、今も使い続けている愛用品とは!?
第3回は日本代表のボランチとして2002年日韓、2006年ドイツの二度のワールドカップに出場した福西崇史さんが登場します。
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ピッチを躍動した名ボランチ、福西崇史さんが登場!
福西崇史
1976年生まれ、愛媛県出身。1995年にジュビロ磐田に入団。黄金期の主力メンバーとして活躍し、Jリーグベストイレブンを4度獲得。国際Aマッチ出場64試合、7得点。サッカー解説の傍ら、今春、早稲田大学大学院のスポーツ科学研究科に入学。
日本サッカー史に残るワールドカップ初勝利の記憶
いまも輝く栄光の「15」番とスパイク
右:2002年日韓ワールドカップ・ロシア戦、左:2006年ドイツワールドカップ・オーストラリア戦で実際に着用した日本代表ユニフォームとスパイク。背番号15。それぞれ、ともに戦った日本代表チームメイトのサインが描かれる。
ワールドカップを戦った思い出の代表ユニフォーム
日本代表が出場するワールドカップ・カタール大会の開催まであと3カ月となった。
振り返ると今から20年前に開催されたのが、日本中を熱狂と興奮に包んだ2002年日韓ワールドカップ。
タレントを揃えたトルシエ・ジャパンは、日本のサッカー史上初めてワールドカップで勝利し、グループリーグを突破。その初勝利を挙げたロシア戦のピッチに立っていたのが今回のゲスト、福西崇史さんだ。
「モノは昔から大切にするほうで、記念になるモノは大切に残していますね」。
そう話しながら取り出したのが、なんと2002年日韓大会ロシア戦、2006年ドイツ大会オーストラリア戦で実際に着用していた、背番号「15」。日本代表ユニフォームとスパイクだった!
「久しぶりに引っ張り出したので懐かしく感じますね。初めて出場した日韓ワールドカップは日本国内の熱狂、盛り上がりが本当にすごかった(ロシア戦の平均世帯視聴率が66%!)。実際、出場時間は短かったですが、日本で初めてワールドカップが開催され、勝利した瞬間にピッチに立っていたのは嬉しかったし、大きな財産になっています。2006年は主力として出場し、チーム(ジーコ・ジャパン)として期待されながら結果が残せなかった。いい思い出も、悔しい想いも、すべてこのユニフォームに詰まっています」。
そんな日本代表として活躍した福西さんは、現在、サッカー解説者として活躍する傍ら、今春より早稲田大学大学院で学ぶ学生となった。
「コロナ禍で自分と向き合う時間ができて、学び直すにはこのタイミングしかないと思い決めました。無事入学が決まり、今は大学院スポーツ科学研究科でサッカーにおけるボランチの役割や重要性、世界に通用する日本人ボランチ像について研究しています。昨日はオンデマンドでゼミの集まりがあり、今後は論文に着手します。ここで学び、研究したことをサッカー界に還元できるよう頑張ります」。
今でも体を動かすのが好きという福西さんは「サッカーをしていて今が一番楽しい」と笑う。
「人はいくつになっても学ぶことができるし、スポーツを楽しむことができますから」。
取材・文/岡藤充泰(ライトアウェイ) 撮影/横江 淳
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