1970年代後半に一大ブームを巻き起こした寝台特急ブルートレイン。最盛期は首都圏や関西を起点として全国各地に向けてたくさんの列車を運転していた。しかし1980年代からブルートレインの衰退が始まり、1988年の青函トンネルの開通で、豪華列車「北斗星」という新しい道筋を見つけたものの、多くの列車は衰退を止められず廃止された。そして伝統の九州特急が2009年に姿を消し、最後まで残った「北斗星」も2015年に消えたのだった。
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寝台列車文化を創り上げたブルートレインの軌跡に迫る。
伝統の九州特急のラストランナーとなった「富士・はやぶさ」。先頭に立つEF66形は1985〜2009年に活躍した。
青い車体に細い帯を入れた端正なデザインの客車を連ねて走った寝台特急ブルートレイン。その歴史は1958年に遡り、東京〜博多間を運転していた「あさかぜ」にブルートレイン客車20系を投入したのが最初だ。
ブルートレインは一般形の客車と一線を画し、編成美もさることながら客室は冷暖房完備で、1人用個室も設定。食堂車も完全電化されるなど、快適性は群を抜いており「走るホテル」と呼ばれた。大好評だったブルートレインは東京から九州を目指した「あさかぜ」「さくら」「はやぶさ」「みずほ」「富士」などの九州特急を始め、関西から九州を目指した関西特急にも進出した。
客車はB寝台車の居住性の向上を図った14系や24系に発展。しかし、新幹線の開業や航空機の発達、高速バスの展開により乗客は徐々に奪われた。1980年代に入ると一部のブルートレインは整理された。一方、「あさかぜ」のグレードアップ改造を始めとした、さまざまな生き残り策を講じる。そんな中、1988年に青函トンネルが開通。上野〜札幌間を結んだ「北斗星」は個室主体の豪華列車という新しいブルートレインの形を作り上げ、成功を収めた。
しかし、ビジネス需要が主体だった列車は「出雲」「瀬戸」を除いて衰退して、徐々に廃止され、「富士」「はやぶさ」も2009年に姿を消していった。最後まで残った「北斗星」も、2016年に開業した北海道新幹線に、北へ向かう特急としての役目を譲る形で2015年に廃止。ここにブルートレインの歴史は幕を下ろした。
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