1964年の東海道新幹線開業以来、新幹線の安全な運行を支えてきたドクターイエロー。新幹線の安全な運行を守るために、走り続けてきたドクターイエロー(T4編成)であったが、ついに引退が発表された。昭和・平成・令和と3つの時代を走り続けてきた4世代にわたる進化の歴史を紹介。
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安全を守り続けてきた60年4世代の歴史
黄色い車体に青い帯のドクターイエロー。その元祖は東海道新幹線が開業する直前の1964年に登場した922形0番台電気試験車T1編成だ。このT1編成は東海道新幹線の試作車1000形を改造したもので、新幹線0系(最高速度210㎞/h)と同等の速度で走行しながら電力・信号・通信・無線の検測を行った。T1編成が登場した当時、軌道検測は専用の軌道試験車921形を使用。911形ディーゼル機関車に牽引されて最高速度160㎞/hで検測していた。1972年には山陽新幹線新大阪~岡山間が開業。ドクターイエローの活躍の範囲も東京~岡山間に拡がった。
山陽新幹線博多延伸を控えた1974年、T1編成に代わる2代目ドクターイエロー、922形・921形10番台T2編成が新造され、ドクターイエローは電気軌道総合試験車となった。
1979年には922形・921形20番台T3編成が新造され、ドクターイエローは2編成体制に。これにより片方の編成が全般検査で工場に入場している間も、もう片方の編成による検測が可能となったのだ。
1987年4月にJR東海・JR西日本が発足。ドクターイエローはT2編成をJR東海、T3編成をJR西日本が所有することに。検測は引き続き、大井車両基地を拠点として東京~博多間を往復するスケジュールとしている。
1992年に300系「のぞみ」が最高速度270㎞/h運転を開始。1999年には後継車の700系が登場。JR東海は700系をベースとした923形T4編成を2001年に導入。最高速度270㎞/hで検測を行うことができるようになった。2005年にはJR西日本も923形3000番台T5編成を導入。これにより、今日のT4・T5編成の体制が完成。引退のその日まで、東海道・山陽新幹線が安全に走れるよう、線路設備の検測が行われていくのだ。
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